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7月 26, 2013

「1秒間に約4語」世界9000人が翻訳 ゲンゴの挑戦

翻訳の世界で、「革命」を起こそうとしているベンチャー企業が注目を集めている。複数の国で暮らした経験のある技術者が設立したゲンゴ(東京・渋谷、ロバート・ラングCEO)だ。ネットを活用して個人に仕事を仲介する「クラウドソーシング」の仕組みで、世界に散らばる約9000人の翻訳家のネットワークを使う。対象は英語や中国語など34の国や地域で使われる言語。安くてスピーディーな納品、高い品質が評価され、個人だけでなく楽天など企業が利用するケースも増えている。

「今こうしている間も、1秒間に3.8の単語が訳され続けている。翻訳した総数は累計で1億語を突破した」。ラング社長は19日、新オフィスで2008年に始めた翻訳サービスが堅調に伸びていることを誇らしげに語った。苦楽をともにした社員や家族、投資家らからは拍手と歓声が上がった。

同社の翻訳サービス(/ja/)は、グーグルなどが無料で提供する機械翻訳とは違い、人手に頼るのが特徴だ。依頼者が訳してほしい文章を同社のウェブサイト上で入力すると、自動的に世界中の翻訳家に仕事の案件として知らされるしくみだ。「早い者勝ちルール」のため、手が空いていて仕事をしたい人が受け持つ。受注できるのは1人1件ずつ。翻訳結果は、最短で10分程度で依頼者に届く。翻訳家はバイリンガルの学生からプロまで様々だ。

「いわば“人力”による翻訳のため、誤訳や誤字がない精度の高いものを納品できる。自動翻訳は1990年代に一気に精度が向上したが、進化速度は減速している。いまだ100%の精度を実現するに至っていない」(ラングCEO)。様々な分野で人工知能の研究が進むが、現時点で「翻訳」という分野では人間の脳にコンピューターは勝てない。

多数の人に仕事を発注するしくみのため、翻訳の質を保証すべく徹底した管理システムを築く。1度でも納品した内容が悪ければソーシャルメディアなどですぐに悪い評判が広がり、消費者からそっぽを向かれてしまう。そこで、独自に開発したテストに合格した人だけが仕事を請け負えるようにした。これまでに11万人が受験したが、合格率は10%以下。登録された翻訳家の翻訳結果は、65人の「シニア翻訳者」が逐次チェックする体制を整えている。抜き打ちチェックなどの結果で、翻訳家のレベルを1~10と数値化して管理している。

翻訳家のモチベーションを維持・向上するためのしくみも充実させている。翻訳家は自分がこれまで手掛けた仕事の質やスピードなどをウェブサイト上で確認でき、スキルを磨きたい人向けには専用教材も提供する。

料金は1字あたり4円からで、一般的な電子メールなら1通750円。同社によると翻訳専門会社の相場はおおよそ1字20円からといい、大幅に割安だ。依頼してから納品まで数日かかるようなこともない。

シニア翻訳者を統括するマリーナ・コニーナさんは、「プロの翻訳家として顧客と接していた経験から、スピードとコストを両立したゲンゴはまさに理想的なサービスだと感じた」と語る。知り合いの翻訳家からゲンゴを紹介され、英語やロシア語の翻訳を09年から請け負っていた。その経験が買われ11年にゲンゴからシニア翻訳者に任命され、住んだことがない日本にやってきた。「翻訳業界は技術革新からかけ離れていた。ゲンゴなら壁を打ち破って新しい世界を広げられると感じた」(コニーナさん)

「サービス開始当初は、ラブレターの日英翻訳もあった」(ラング社長)というように、個人利用が約半分。最近は企業利用が伸びており、楽天のほか旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」やグーグルの動画共有サイト「ユーチューブ」などが導入している。中国の電子商取引サイト大手アリババ・ドット・コムも試用を始めた企業の1社だ。

ゲンゴが用意した連携機能で、楽天らネット会社は自社サービス内から翻訳を依頼できる。ユーチューブ上で動画に字幕をつけて作成したユーザーは、「翻訳をリクエスト」というボタンをクリックすれば、字幕を翻訳して複数の言語で表示させることができる。

同社が掲げるのが、「誰もがワンクリックであらゆるコンテンツを理解・発信できる世界」。旅行口コミサイトのトリップ・アドバイザーは、フィリピンやインドネシアでサービスを開始した際、英語で書かれた大量の口コミを現地の言語で表示するためにゲンゴを活用。担当者は、「現地語でいち早く情報をを表示させられるかがサービス成功の鍵。口コミに適した文体で安く翻訳してくれるサービスはこれまでなかった」と採用の理由をこう話す。

多言語を売りにするだけに、ゲンゴの従業員の出身国・地域も多彩。社員の7割が外国人で12の異なる国籍を持つ。出身地はトルコや南アフリカ、サウジアラビアと幅広く、オフィスはあたかも世界中から人材が集まるシリコンバレーの企業のようだ。

創業者の一人であるマシュー今井ロメイン氏は、元ソニーのオーディオ関連の研究者。バイリンガルという理由で、研究とは関係ない翻訳の仕事を頼まれることが多かったという。日本語に不自由を感じながら日本企業向けのウェブサイトの構築を携わっていたラングCEOも、日本ならではの「言葉の壁」に苦労していた。ネット上で同じようなビジネスモデルを考えていることを知り、起業にいたった。「誰もがより付加価値の高い仕事に集中できれば、世の中はもっとよくなる」――。2人が翻訳に事業の可能性を見いだせたのは、日本に住んでいたからこそといえる。

「決済やECサイト、コンテンツ配信など新たなネットサービスが生まれ世界は狭くなったが、言葉はいぜんとして旧式の翻訳に頼らざるを得ない。クラウドソーシングの力で風穴を空けたい」(ラング社長)。世界の翻訳市場は年7%成長する3兆円規模と巨大だけにチャンスも大きいとみる。同社への発注件数は年3~4倍で伸びており、2014年には累計3億語の翻訳を達成できると意気込む。

サービス拡充に向けて準備もぬかりない。「今年中にプロの翻訳家のチェックに加えて、クラウド上で翻訳家同士が相互にチェックする機能を追加する。また、翻訳家の得意分野に応じて発注を最適に配分していく」(技術部門を統括する徳生裕人氏)。4月にはNTTドコモ系投資会社や米インテル傘下の投資会社インテルキャピタル、無料音声通話サービス「スカイプ」の生みの親であるニクラス・ゼンストローム氏が率いる投資会社アトミコから、総額1200万ドル(約12億円)の資金調達にも成功した。

誰もがコンテンツを作って情報発信し、世界中の人々とつながることができるネット社会の現代。しかしながら言語が壁になってその輪を国境の外に広げられずに悩まされることは多い。日本人はもちろんだが、ほかの国々で同じ悩みを抱えているはず。ITの力で解決しようとするゲンゴの取り組みは世界に羽ばたく可能性を秘めている。

(電子報道部 杉原梓)

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